先日お伝えした、ねじ(カベロック)の袋入れ作業。
「音速の貴公子」 U さんの活躍で 見事50000セット納期内に納めることが
できました。 Uさんの活躍の裏で、もうひとつ考えさせられる出来事があったのでした。
STさんはこのねじの感触が好きなようで、この作業になると一目散にねじを集めに行きます。
この仕事がはるにれにやってきて5年くらいになりますが、最初はカゴ一杯に入ったねじをじゃらじゃら触っていつだけでした。
その後、カゴ一杯に集めたねじを、1つづつ、スタッフに渡してくれるようになりました。
そうした作業スタイルがSTさんのベストな状態かのような雰囲気が、はるにれにはありましたが、
今回のねじ入れ作業のとき、新人スタッフNが紙コップに袋をはめ込み、STさんに渡すと、
なんと
自分で、そそくさと、ねじを入れだしたのです。
一人で作業ができるようになる。それは
重度の方が多いはるにれでは、難しいことです。
STさんは、5年かけて名ねじを一人で入ることができるようになりました。
まだ数を正確に入れることはできませんが、袋に入れる行為はできるようになりました。
できたから偉いとか、できないからダメだとかではなく。
継続されてきた作業の中で、このような変化があると、作業を行ってきた実感が
沸きます。 単なる「成長した」などという単純なことではなく、人の営みの実感とでも
言うような・・・・・うまく言葉にできないですが・・・・
生産性から言えば、とうてい考えられない作業ですが、人が生きていくうえで、必要な
、そして、当たり前のことが含まれているような気がします。
・ほとんどスタッフが行っている作業に何の意味があるのか?
・納期ばかりに追われて、支援がほったらかしじゃないのか?
・たいした工賃にも反映できないのに、、何もしないほうがいいのじゃないか?
私自身、前職、前々職の法人で様々な議論を行いながら、はっきりとした意見はいまだありませんが、
このSTさんの 「できた」という行為は、単に「できる」とか「できない」ではなくて
STさんの「生き様」が現れているように感じました。(おおげさかなあ?)
それとSTさんに固定概念の無い新人スタッフNさんのひらめきが、「できる」きっかけを
作ったにほかならないと思います。
支援者側の思い込みは気をつけねばならないと反省し、人とのかかわりの中で、人は変化し続ける
事も改めて実感したのでした。
お疲れ様でした STさん
鳥居