N君のガイド。 時々行われるキャッチボール。
それは、長いときには1時間以上行われる事もあるそうです。
野球好きならわかると思いますが、ただ、ボールを投げて、受け取るだけの
この行動が、楽しいんですよね。
男の子なら大抵はやったことあるキャッチボール。
父親とキャッチボール。兄弟でキャッチボール。
友達とキャッチボール。 それは単なるボールの投げあいではなく、
人と人のかかわりあいの・・・・・・・・・難しくで説明できませんが(笑)
(※平井けんの「キャッチーボール」名曲ですちなみに)
野球の好きな人ならわかるはずキャッチーボールの尊さが・・・・・
知的な障害のあるN君はそのキャッチボールをヘルパーさんと行っているんです。
知的な障害のある人たちは人間関係が希薄です。
キャッチボールするのにもなかなか相手が見つからないのです。
ヘルパーさんとのキャッチボールには満足してくれたようだけど、もっといろんな人と
キャッチボールが出来たらいいのになあと、少し切なくなります。
自立支援法が施策して10年。障害福祉の取り巻く環境もずいぶん変わったように思えます。
サービスは増え、パッケージ化され、自分で選ぶことが出来るのはいいことだけど
切り売りされたサービスをつなぎ合わせても 本質にはならないのでないかと思います。
(ショートステイや児童デイ、日中一時・・・etc それは単なるその場だけの事・・・)
障害のある人が、「その人らしく暮らせる社会」という、本質を福祉サービスが担っている感じは
しないような気がします。
単にヘルパーさんがその場限りの支援を頑張ってても、
N君が楽しく「普通に」キャッチボールや野球が出来る環境にはつながらない。
自分達の仕事を否定しているのではなのです。私達の仕事は日常業務のその先を私達は考えながら
日々励まなければならないと思っています。
先日あるきっかけではるにれのKさんが野球用具を身に着けました。
Kさんのその時の嬉しそうな顔を私は忘れられない。
自分も初めてユニフォームに袖を通したときの
嬉しさを思い出します。
障害があると言うことは、そうしたちょっとした事が経験しにくいのだと思います。
ほんのささやかな幸せ楽しさ、そこに気づかず、業務していないか?
そなことを思ったのでした。
いつかみんなで、野球したいな。
鳥居